価値観には本当に優劣はないのだろうか?【まこなり社長の動画感想】

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僕は寝る前にもゲームやりてーって感じのタイプなのですが、如何せん疲れ目が酷くてですね(泣)

目が疲れるし、睡眠の質も悪くなるってわけで、寝る前は鍾乳洞に流れる川の音を聞きながらすぐ寝るように頑張っています!

で、たまに勉強もかねて、寝る前に、まこなり社長さんのYoutubeを(画面は見ないで)聞くことがあるのですが、その中で、

価値観は人それぞれで、(個人間において)価値観に優劣は無い。

という発言が出ることがあるんですよね。

で、果たして本当に人の価値観に優劣は無いのでしょうか?どうなんでしょう。

ってのを考えてみました。

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『価値観』と『優劣』の意味

価値観 → 何に価値があると認めるかに関する考え方。

優劣 → 優れている、劣っている。

結論は『価値観には優劣がある』ってか『なければならない』派

で、結論から言うと僕は

価値観には優劣がある!

と考えています!

というか価値観には優劣がなければならない、から、優劣があるといったほうが正しいでしょうか?

繰り返しになりますが、価値観には優劣がなければならないっていう点が大切なんだと思います。

理由その1:価値観に優劣が無ければ犯罪行為も良しとなる

もしも、価値観に優劣が無いとするならば、犯罪行為もOkということになってしまいます。

価値観に優劣が無いと言う人の多くは、よく最後にこう付け加えます。

価値観において犯罪行為、人を傷つける、咎めるのは例外

みたいに。

でも、それも価値観の1つです。論理展開をする上で、何故かそれらだけを例外にするというのが問題です。

なぜ価値観という用語において、いきなり例外規定が設けられるのかが意味がわかりません。

価値観は何に価値を見出すのか、認知するのかについての考え方。

この価値観という言葉の意味は、これだけ!そうこれだけなんです。

足し算をしているときに、「あ、これは都合悪いから引き算するわ!」ってならんですよね。

世間一般的に見て、酷いと思われることも価値観の1つという点を忘れてはいけません。

(例外規定で、人間を清く正しく、美しくしてもしょうがないW)

だから、価値観には優劣がないといけない、ということになります。

価値観に優劣がないとなると、極論、善意の寄付と銀行強盗の行為が同等、ということにもなりかねません。

理由その2:社長とパート、価値観には優劣がある

人類は皆がより幸せに、より快適になったほうが良いという考え方の基、人類は進歩しなければならない、という前提が正しいとするならば、価値観には優劣があります。

何故なら、その進歩の大きさに価値観が影響するからです。

とある会社の、AさんとBさん・・

Aさんは、社長をやるのが楽しい、幸せという価値観

Bさんは、パートをやるのが楽しい、幸せという価値観

があったとします。

もちろん、その会社を大きく進歩させるのは前者のAさんです。

それは結果的に、『人類』や『社会』という大きな枠から俯瞰すると、大きな進歩になっていると。

もちろん後者のBさんでも、貢献はしているけれど、その進歩の大きさの話をするなら、やはり前者のほうが優れているでしょう。

だから価値観には優劣があるんです。

この場合だと、社長にしろ、パートにしろ、まだどちらも進歩しているので、価値観の優劣という点において、程度問題で収まる話。

人類は素早く進歩するべきか、ゆっくり進歩するべきか?という議論の余地があるのかもしれません。

その答え次第で、優劣の基準は変わるのかも。

でも、今回比べた社長とパートの比較を、もっとわかりやすい比較にすると・・価値観に優劣があることは明白でしょう。

覆してはいけない大きな前提があるから、価値観には優劣がある

というわけで、価値観には優劣がある → 僕なりの理由を2つ挙げましたが、その理由を成り立たせるために、大きな前提があるということでして。

既に書いてある通り、この大きな2つの前提

犯罪はだめ!

人類は進歩しなくてはいけない!

ということです。

いきなり、こういう前提って当然でしょ?って感じで話しちゃいましたが、世間一般的に同感かなと。哲学的な話にしなくとも。

で、価値観に優劣は無い、となるとこの大事な2つの前提をひっくり返さなければならないということになります。

ひっくり返すと、

→ 犯罪を良しとするなら、価値観には優劣は無い。

→ 人類が進歩する必要が無いならば、価値観に優劣は無い。

ということになります。

犯罪はだめだし、世界を見渡せばまだまだ人類は進歩しないといけないってのは、感覚的にわかると思います。

でも、上で書いてますが、そもそも人類は早く進歩したほうが良いのかどうなのか?、とか、何が犯罪になるかは、国や時代で変わりますし、実際に、個人間で価値観の優劣を決めるのは難しいところがありますな。

一応、今回は『価値観に優劣はあるか否か?』の『存在の話』なので、細かいところは横に置いといてってことでお願いしますW

まとめ:価値観には『役割』がある

というわけで、価値観には優劣があって、そして役割があるんだと、個人的には思います。

僕には僕の価値観があって、それに沿って生活しているわけですが、もちろん僕より優れた価値観の方はたくさんいます。

でも、僕の価値観が劣っているとは言え、必要か否か?というとまた別の問題です。

色んな価値観があって、その価値観を基に、色んな仕事や立場があると。社長に部長に課長に、フリーランスに、父ちゃん母ちゃん、子供に孫にって感じで。

そして、もの凄いざっくりですが、社会という枠組みの中で、価値観が優にも劣にも偏ってしまうと、社会が成り立たないってのは感覚的にわかるんしゃないでしょうか?

極論的なところに行くと、優劣を光と闇に置き換えるとわかりやすいかもしれません。(例えがゲーマーっぽいW)

僕の怠惰な価値観の1つである「働きたくない!」っていうのも、ニーズとなって誰かのビジネスのお金になっていますし、人間の無駄な動きを省く考察の一助になっているやもしれぬ、ということです。

大きな枠で考えると、人間の苦労を減らしているのかも・・ってことにしておこう!・・っていう役割W

まあ、これから人工知能搭載のロボットが登場するわけなので、人類はもはや進化しなくてもよくなる、のかもしれません。

価値観の存在を成り立たせるための、大きな前提が崩れていくのか、再構築されるのか、変化していくのか・・。

もう世の中のスピードが速すぎて、何が何だかね。

まあとりあえずアドラー心理学の考え方よろしく、全員、みんな『縦』じゃなく『横』並びで頑張っていって、価値観の『役割』を尊重できたら良いなと思います!

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